思影 −omokage−






次の日学校に行くと、今井は何事も無かったかのように話しかけてきた。
「おはよう宇佐美! 今日は顔色良さそうだな」
何だかんだ言って、今井もアタシの様子をよく気にかけてくれている。
それなのに、昨日だって助けてもらったのにお礼も言わず、挙句の果てに怒鳴りつけちゃって・・・。
さすがにこのまま何事も無かったかのように振舞うっていうのは申し訳なさすぎる。
そう思いつつも、なかなか謝るきっかけをつかめないまま、放課後を迎えてしまった。

部活が始まるまでまだちょっと時間があるはずだから、その前には今井を掴まえて謝らないと。
そう思って教室を見回したけど、教室にもう今井の姿はなく、仕方なく部室までの道のりを探してみる。
そうして職員室の前を通りかかった時、担任と遭遇した。
「おぅ宇佐美。何か探し物か?」
「えっと・・・。あの、今井くんを探しているんですが、見かけませんでしたか?」
「いや、見なかったが。・・・そう言えば宇佐美は、以前から今井と知り合いなのか?」
「はぁ・・・まぁ」
「そうか・・・」
何かちょっと、担任が言いたそうな顔をしている。
もしかして、昨日本郷くんが言ってた保護者って、今井の親、とか?
「今井がどうかしたんですか?」
何となく今井のことが気になってしまった。
「いやぁ、それがな。変な話なんだが・・・。入学式の前に今井は事故に遭っててな、ご両親からの連絡で、意識不明の重体でまだ入院中だから、当分休学させて下さいって連絡があったんだよ」
「え・・・っ!?」
今井が、事故・・・?
「それが、本人がピンピンして登校してきてるだろ? それで不思議に思ってたら、昨日、今井のお姉さんって方がいらしてな」
昨日の本郷くんが言ってた保護者っていうのは、今井のお姉さんだったんだ。
あれ? でも・・・。
「で、弟のことでは心配おかけしましたが、見ての通り、元気にやっております、って言うんだよな」
「・・・・・・」
「まさかとは思うが、あいつは、今井は本人だよな? まさか別人、とかじゃないよな? 俺は写真でしか入学前の今井を見たことないから少し不安になってきてなぁ」
「今井は・・・確かに今井だと思います。アタシも小学校卒業以来だけど、間違いないと思います。でも・・・」
「でも?」
「いえ、何でもないです。・・・失礼します」
アタシは無理矢理担任の話を遮り、足早にその場を去った。

アタシは走りながら、頭の中を整理しようと必死に思考を巡らせていた。
どういうこと・・・?
担任の言ってたことをそのまま受け取ると、今井は入院していることになってる。
でも、毎日会ってる今井は、アタシのこともよく知ってるし、別人であるはずがないのだ。
だけど。
今井にお姉さんなんていなかったはず。
今井は一人っ子だったんだもの。
もしかして離婚とか再婚がらみで、急にお姉さんが出来た・・・とか?
色々可能性を考えてたら、頭の中がぐるぐるしてきて気分が悪くなってしまったので、その日は今井を捜さず大人しく家に帰った。


その夜、久し振りにお兄ちゃんの部屋に入ってみた。
何故だか無性に高校時代のお兄ちゃんを知りたくなった。
そういえばお兄ちゃんはいつも恥ずかしがって、卒業アルバムとかあまり見せてくれなかったっけ。
本棚を漁ると、卒業アルバムはあっさりと見つかった。
そしてパラパラとアルバムのページをめくると、お兄ちゃんはすぐに見つけられた。
たくさんの写真の中のお兄ちゃんは、アタシの知ってるいつも優しくて穏やかなお兄ちゃんと少し違っていた。
友達とふざけ合っている姿、意地悪そうに笑っている顔、試合に負けて悔しそうに顔を歪める姿・・・。
年相応の男子高校生って感じで、本郷くんより全然幼く見えた。
「なんか、今井とかとあんまり変わらないな・・・」
アルバムのお兄ちゃんの姿を見つめながら、アタシは一人、呟いていた―――。



次の日の朝は、昨晩なかなか寝付けなかったこともあって、少し遅刻してしまった。
その所為で、朝、今井と挨拶を交わすこともなかった。

昼休みにいつものように人の少なくなる教室で、一人購買で買ってきたパンを広げていると、本郷くんがやってきた。
「食事時にごめんね。来週の委員会なんだけど、日程が変更になったらしいんだ」
「あ、そうなんだ。わざわざありがとう。それで、いつになったの?」
「うん、水曜の放課後から木曜の昼に変更」
「ん、わかった」
「それじゃあ、よろしく」
「あ、待って!」
ふとこの前の帰り道での会話が思い出されて、思わずアタシは去っていく本郷くんの背中を呼び止めていた。
「あの、本郷くん」
「どうしたの?」
「この前言ってた、本郷くんが大人っぽくて落ち着いてる『理由』、あれ、どうしても教えてもらいたいんだけど・・・ダメかな?」
「えっ」
突然そんな質問をされて、本郷くんは戸惑っているようだった。
でもアタシはその時ふいに、どうしてもその理由が知りたいと思った。
「うーん・・・それじゃあ言うけど・・・。他の人には言わないでくれるかな?」
「もちろん。特に話すような人もいないし」
「それなら・・・」

少し照れながら本郷くんが話してくれたことを、アタシは午後の授業中、ずっと考えていた。
そして同時に、お兄ちゃんのことを考えていた。
本郷くんが大人っぽい理由は、“妹”のため。
家庭の事情でいろいろと辛い思いをさせてしまっているという妹さんのために、早く大人になりたいと思ったからだと思うって本郷くんは言っていた。
それから本郷くんは、「ただ妹の前で、いい恰好したいだけなのかもしれないけど」とも付け加えた。
・・・。
お兄ちゃんもそうだったのだろうか?
幼くてお兄ちゃんに甘えてばっかりのアタシのために、無理に大人っぽくしていただけで。
アルバムの中のお兄ちゃんが本当の、本来の姿だったのかもしれない。
アタシはそんなことを考えながら、隣で寝息を立てている今井を見ていら、何だか無性に泣きたいような気分になっていた。


放課後。
意を決して、今井の部活が終わるのを待つことにした。
昇降口のところで立っていると、今井たちサッカー部の連中が部活を終える姿が見えた。
立ち尽くしているアタシの姿を、今井が見つけて声を掛けてくる。
「あれ、宇佐美じゃん。まだ帰ってなかったのか?」
「うん、今井に用事があって・・・」
「俺に・・・?」

この前は本郷くんと一緒に帰った帰り道を、今度は今井と一緒に歩く。
「で? 話したいことって?」
「えっと、まず・・・」
お礼とお詫び、しなきゃね。
「この前は怒鳴ったりしちゃって、ごめん。せっかく助けてくれたのに・・・」
「なんだ、そんなことか。いいって、俺もなんか、気に障ること言っちまったみたいだし」
「でも助けてくれたお礼も言ってなかったから。ホントごめん。それからありがと」
「なんだ、素直に言えんじゃん」
そう言うと今井は、照れくさそうに笑った。
笑った顔なんかは、小学校の頃と全然変わらないな・・・。
そういえば昔、お兄ちゃんと今井と3人で、サッカーやったっけ。
もう二度と、出来ないけど・・・。
そんなことをぼんやり考えていたら、鼻の奥がつんとしてきたので、あわてて空を仰いだ。
「どうした? もしかして泣いてるのか?」
「違うわよっ。泣いてなんか・・・」
「泣いたっていいじゃん別に。泣きたい時は、泣けばいいんだよ」
「だから、違うってば。もう・・・」
今井が変なことを言うから、泣きたいんだか笑いたいんだかわからなくなってきた。
「それで? 話はもう終わり?」
今井にそう言われて、思い出す。
訊きたいことが、もうひとつあった。
「えっと、何て言うか・・・。ここからは雑談なんだけど」
「雑談? 何だよそれ〜」
何も気にとめてない様子の今井の隣で、アタシは今からする質問にドキドキしていた。
「今井ってさ、兄弟とかいないよね? 確か一人っ子だったよね?」
言ってから、ちらりと今井を見る。
「ああ、そうだよ。宇佐美みたいに兄ちゃんとかいたら楽しかったんだろうな〜」
「!!」
やっぱり・・・。 じゃあ、お姉さんだっていう女の人は・・・?
今井は何で先生に嘘をついているの・・・?
頭の中で疑問符が飛び交って、アタシは自分の考えていることを正直に言うべきかどうか悩んだ。
でも・・・ちゃんと、確かめたい。
「あのね、実はこの前、先生が、今井のお姉さんだっていう人が来たって言ってて・・・」
「・・・!」
「し、しかもね、今井が事故にあって、今も意識不明で入院中だって。・・・っ!?」
そこまで言って今井を見た時、今井の変化に驚く。
どこかを静かに見つめるその姿は、アタシの知ってる今井とは全然違くて、背筋がぞくっとする。
「ね、ねぇ・・・どういうこと、なの? 何か言ってよ」
こんなに近くにいるのに、今井を急に遠くに感じる。
しばらく黙ったままだった今井が口を開いた時には、陽はほとんど傾いていた。
「そっか、ばれちゃったか。まぁ、どうせそろそろ“限界”だったんだけど・・・」
「・・・え?」
「お姉さんっていう人は、“人形師”っていって、この身体をくれた人なんだ」
「身体を、くれる・・・?」
今井が何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。
「本当の俺は、まだ病院のベッドの上。もう2ヶ月以上も意識不明のままだ」
「でも・・・今井はここにいるよ?」
「あぁ・・・。でも、もう時間がないんだ」
「どういうこと? いなくなっちゃうの!?」
寒くもないのに身体がガタガタと震えた。
お兄ちゃんの事故の知らせを聞いた時と同じ、恐怖からくる震えだった。
「そうだな・・・もう行かないと・・・」
そう言うと、今井は歩き出した。
何が何だかさっぱりわからなかった。
今井はもう、死んでしまうんだろうか?
死ぬ前に最後にこうして高校生活を送る為に、わざわざ身体を借りてまで出てきたのだろうか?
ワケを知りたかった。
「・・・ねぇ、どうして身体を借りてまで学校に来てるの? 何か理由があるんでしょ?」
アタシがそう言うと、今井の足が止まる。
振り返ったその表情は、暗くてよく見えない。
「・・・おまえが、心配だったから」
「え・・・?」
「ユウヤ兄ちゃんが死んだってきいて、俺、いてもたってもいられなくなったんだ」
「え・・・だって・・・知って・・・?」
「お前は知らなかったと思うけど、俺、以前からたまにユウヤ兄ちゃんとは会ってたんだ」
それから今井は、お兄ちゃんとのことを話してくれた。
お兄ちゃんとはサッカーを通じて再会し、それからちょくちょく会っていたこと。
アタシの話や、この高校の話をしていたこと。
「おまえは中学上がる時に引っ越ししたから、親しい友達があんまり出来ないって、ユウヤ兄ちゃん、心配してたぞ」
「・・・」
「事故の日も合格発表があったからユウヤ兄ちゃんにも連絡したんだけど、どうしても連絡取れなかったから、妙な胸騒ぎがして近所まで行ったんだ。そしたら・・・」
今井の表情が曇る。
「ユウヤ兄ちゃんが事故に遭ったって近所の人が噂してるのが聞こえて・・・だから行ったんだ、病院に」
「そう、だったの・・・?」
「いや・・・正確には、『行けなかった』んだ。行く途中で、俺も事故に遭ったから・・・」
「!!」
「情けないよな〜ほんとに・・・」
今井は自嘲気味に笑う。
「な、なんで、そんな・・・」
「ユウヤ兄ちゃんがいつも言ってたんだ・・・お前が自分に依存しすぎてるって。両親とも離れてるし、もし自分とも離れるようなことがあったらどうなるんだろう・・・って」
「お兄ちゃんが・・・そんなこと・・・」
「だから、ユウヤ兄ちゃんが事故にあったってきいて、真っ先におまえのことが頭に浮かんだよ。一人で震えてるんじゃないかって・・・」
「そんな・・・」
そんなんで事故に遭っちゃうなんて、ホント、ばかだ・・・。
アタシなんかのために・・・。
「事故に遭ってたぶん昏睡状態になった時、夢なのか現実なのか・・・人形師が現れて、この身体をくれた」
「それでアタシに・・・逢いに来てくれたの?」
その問いに答えるかのように、今井は少し困ったように笑う。
「・・・でもさ、宇佐美も少しずつだけど元気になってきたみたいだし、安心したよ。本郷だって、いるしな」
「え? なんで本郷くん?」
「え? おまえ、あいつのこと、好きなんだろ?」
「えっ!? ちっちがう!!」
「いいってそんなムキになって否定しなくても。・・・あ、もう行かないと」
話を遮るかのように、今井がまた踵を返す。
「え? 行くってどこへ? ねぇっ!」
今井は何も答えない。
「やだっ、いやだよ、そんな・・・」
涙が込み上げてきて視界が滲む。
一瞬目を伏せたその瞬間、視界から今井の姿はなくなっていた。
「・・・え? 嘘・・・やだっ! 今井! どこ?!」
暗い中、目を凝らして今井の姿を捜すけれど、人がいる気配も感じられない。
「嘘でしょ・・・? いや・・・今井、いま・・・サトシくんーー!!」

病院までの道のりを走りながら、アタシは、いつから今井のことを「悟くん」ではなく「今井」と呼ぶようになったか、なんて、そんなどうでもいいことを考えていた。
悟くんは、会ってなかった3年間も、ずっとアタシを見ててくれた。
お兄ちゃんを通して。
だけど。
今まさに、悟くんもアタシの元を去ろうとしている。
「せっかくまた、逢えたのに・・・」
もう、あんな思いをするのは、イヤ・・・!
「お願いお兄ちゃん・・・悟くんを・・・助けて!」









学校帰りに、いつものように病院に立ち寄る。
入学した頃よりもうずいぶんと陽も長くなって、この時間でもまだ全然明るい。
「もう明日退院だね。今度は本当の悟くんで、学校通えるね」
「本当のって・・・。それを言うなよ」
「あはは。・・・サッカー部、入るんだよね?」
「当たり前だろ? まぁ、だいぶ出遅れちゃったけどな」
「大丈夫だよ、きっと」
アタシは退院目前の悟くんと、病室で他愛もない話をしていた。

あの日、悟くんが目の前から消えてしまってから、アタシはその足で約2ヵ月ぶりに病院に向かった。
お兄ちゃんの事故の知らせが入った時と全く同じように、必死で走った。
悟くんに、もう一度会うために。
病院に辿り着いた時、もう暗くなった入口を目の前にして、もう面会時間が終わっていることを思い出して、自動ドアの前で足を止めた。
だけど、何故かもう開かないはずの自動ドアが開いたから、不思議に思いながらも中に入っていって・・・。
まるで何かに導かれるかのように自然と悟くんの病室の前まで辿り着いていた。
そしてアタシは、目を覚ました悟くんと、奇跡的に再会したのだった。


病室の窓から吹き込む風は、もう初夏の匂いがする。
「それにしても合格できてて良かったよ。マジでめっちゃ勉強したしな〜」
「そんなにここ、入りたかったんだね。サッカー強いもんね」
「や、まぁそりゃ・・・それもあるけど・・・」
「・・・? 何かヘンだよ?」
「(宇佐美が受けるのわかってたから受けた、なんて言えないよな・・・)」
「何か言った?」
「いや! 別に!」
「へんなのー」
「そ、そういえばさ、俺、寝てる間に、ユウヤ兄ちゃんに会ったよ」
「え? まさか、何言って・・・」
「本当だよ。お前をヨロシクってさ」
「・・・そう、お兄ちゃんが・・・」
その時、窓から吹き込んだ風が、アタシの髪を揺らした。
アタシはふと、お兄ちゃんの気配を感じたような気がして、空を見上げた。
「宇佐美? どうかしたのか?」
「ううん・・・気のせいみたい・・・」



***



病院の屋上で、人形師と一人の男が、向かいの棟の病室を見つめていた。
病室では少女が少年を見舞っている様子が窺える。
一瞬少女が屋上を見上げたが、少女の瞳には2人の姿は映らない。
「貴方は、これでよろしかったんですか? ・・・人形を借りないで」
人形師が男に尋ねる。
「はい、俺の出る幕はもう無いですから」
「・・・でも、満足そうですね」
そう言われた男は目を細め、少女の姿を見つめた。



***



アタシは窓から身を乗り出し、夏の気配を感じながら、「うちの高校は楽しいぞ」と言っていたお兄ちゃんの言葉を再び反芻していた。
そして、これから起こるだろうたくさんの楽しいことを思い、胸の高鳴りを感じていた。
「もうすぐ夏だね」
「そうだな。夏は楽しいこと、いっぱいしようぜ」
「うん。これからいーっぱい楽しいことして、高校生活満喫しないとね!」

――― アタシたちの高校生活は、まだ始まったばかりだ。




FIN.

2008/09/20



− あとがき −
思いついたのはいいものの、人形師の二次創作はこれがまたなかなか難しいと痛感。
何せ、タイトル考えるだけでも3日以上費やしてしまいました(汗)。
ちなみに「思影」は、兄の“面影”を2人(悟、本郷)にみる、と、主人公を“思う影”の存在(=兄、悟)を掛けてみた造語です。

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