今、ここにいること






「だからっ!!一体どういうことかって訊いてんのよっ!?」
受話器越しに、水野泉の怒鳴り声が響く。
いつも怒鳴られているとはいっても、状況が状況なだけに、さすがに日下部も戸惑う。

「だから・・・さ。 久我っちが・・・事故に、遭ったんだ・・・」
「う、うそでしょ・・・?」
泉は愕然として、ペタンとその場に座り込んでしまう。
同時に3年前のあの日の光景が泉の頭の中をよぎる。
あの時もそうだった。
受話器の向こうの声が、泉に残酷な事を告げた。
あの時と・・・・・・。

「・・・泉? ダイジョブか?」
握ったままの受話器から日下部の不安げな声がして、泉ははっと我に返る。

幸い、あの時とは少し状況が違う。
久我はまだ死んだってわけではない。

それに、1番気になる事もある。
ちーちゃんはどうしたのだろうか?
確か今日は久我と一緒だったはずだ。
そして、ちーちゃんはまだ家に帰ってきていない。

「日下部! ちーちゃんはどうしたの!?」
泉の声によりいっそう力がこもる。
「千鶴なら、一緒に病院に来てる。 ずっと黙り込んじゃって、俺もどうしたらいいか・・・」
「わかった。 すぐ行く」
がちゃっ、と半ば乱暴に受話器を置き、泉は千鶴の家から駆け出していった。




「病院内は走らないでください!」
後ろの方で看護婦さんが自分を諫める声がしたが、泉はかまわずに目的地へ向かった。

ある手術室の前。
そこに千鶴と日下部がいた。
「ちーちゃんっ! 日下部っ!」
その声に、座っていた日下部が、ばっと立ち上がり泉の方へ振り返る。
「泉!!」
「久我の容態は!?」
「よくわからないんだ・・・。でも、血がたくさん出て・・・」
「そう・・・・・・」
そう言って、泉はさっきから黙り込んでいる千鶴の方に目をやる。

千鶴は俯いて、床のある1点をただただ見つめていた。

「・・・ちーちゃん?」
反応は・・・無い。
泉の背に、ぞくっとしたものが走る。

こんなちーちゃんを、私は知ってる・・・。
そう思うと、恐ろしくなった。
このままじゃ・・・ダメだ、と思い、泉はすぅ、と息を吸い込む。

「ちーちゃん!!」
今度はもっと強い口調で呼び掛ける。
すると千鶴は、少しだけ顔を上げて、泉の方を見る。
泉の姿を映すと、千鶴の瞳に光が戻ってきた。
と同時に、瞳はどんどん潤んで、すぐに涙でいっぱいになった。
「い、いずみちゃん・・・っ! く、くがくんが・・・久我くんが・・・」
涙が止め処なく、ポロポロと頬をつたう。

その瞬間、泉は少しだけほっとした。

あの頃のちーちゃんとは違う。
あの頃の壊れちゃったちーちゃんではない、と泉は確信した。

「ちーちゃん・・・」
「うっ・・・どうしよう・・・。私の所為で、久我くんが・・・」
「えっ!? どういう事なの!?」
詳しい事故の様子を何も聞かされていなかった泉は驚きの声を上げる。
泣きじゃくる千鶴の代わりに、日下部が説明を始める。
「居眠り運転してやがった車が俺達の方に突っ込んできて・・・。久我っちが千鶴を庇うような形になって・・・」
そこまで聞けば、泉には全て理解できた。

そして同時に、やっかいな事になったな、とも思った。
もし久我が死んだら、ちーちゃんはきっと一生“自分の所為だ”という思いに囚われてしまう。
そんなことになったら、ちーちゃんは今度こそ立ち直る事は出来ないであろう。

泣き続ける千鶴の横にそっと腰をおろし、泉は手術室の扉を睨み付ける。

ちーちゃんをこんなに泣かせるなんて・・・。
これでもし死んだりしたら、一生恨み続けてやる・・・。
だから・・・。
絶対死んだりすんじゃないわよ、久我。

泉は強く、強く、そう思った・・・。











いったいどれくらいの時間がたっただろうか。

カチカチと、時計の音だけが廊下に鳴り響いている。
手術室もいたって静かであった。
その時、手術室のランプが消える。

ずっと扉を見つめていた泉がまずばっと立ち上がる。
続いて千鶴と日下部も顔を上げた。
「終わったの・・・?」
泉がそう呟くと同時に、手術室の扉がばっと開いた。
白衣に身を包んだ医者がひとり出てくる。
千鶴たちに気付いて、そちらに顔を向ける。

「手術は成功しました。命に別状はありません」

「え・・・」

「詳しい事は、彼が目を覚ましてから出ないとなんとも言えない状況ではありますが・・・」

「あの・・・」
3人ともまだきょとんとしている。
「た、助かったんですか・・・?」
千鶴がおそるおそる医者に尋ねる。
「はい。そうですよ」

「・・・・・・っ!」
千鶴はその場に座り込んで泣き出してしまった。
しかし、表情は明るいものだった。
そんな千鶴を見て、泉も日下部もほっと肩を撫で下ろした。

本当によかった・・・、と泉は少し複雑な思いを抱えながらも、そう思っていた。
悔しいけど、ちーちゃんにとって久我は1番大きな存在であることは確かだった。
「よかったよぉ・・・」
と言って涙を流す千鶴を見ていたら、泉も少しだけ泣けてきた。

『よかったね、ちーちゃん。』
心の中で小さくそう呟く。




でも、今思えば、ここからがちーちゃんの本当の試練の始まりだった―――――。



2002/08/20

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