思影 −omokage−






高校受験の合格発表当日。
合格者の番号の中から自分の番号を見つけたアタシが、真っ先にお兄ちゃんに報告しようとケータイを取り出すと、そこには見覚えのない電話番号からの大量の着信。
気持ち悪いと思ってそのまま放っておこうとしたけど、その時のアタシは何故か嫌な胸騒ぎがして、その番号を押した。
するとそれは何とかっていう救急病院に繋がり、合格の喜びに浮かれていたアタシを一気に絶望へと突き落した。


4月。
校門まで続く、新入生を歓迎するかのように咲き誇る長い桜並木の真ん中で、アタシは一人立ち尽くしていた。
あの日アタシは、長かった受験勉強からようやく解放されて、自由を手に入れた喜びに浸っている筈だった。
今日だって、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも卒業した憧れの高校に入学できる喜びが、アタシを包んでる筈だった。
なのにどうして・・・。
どうしてアタシは、こんな気持ちでここにいるんだろう・・・?

合格発表のあの日、アタシ、宇佐美あかりの兄は交通事故にあって、呆気なく「帰らぬ人」となってしまった。
年齢の離れた優しくて大人っぽいお兄ちゃんが、アタシは大好きだった。
外交官の両親は家を留守にすることが多く、今は2人とも海外生活真っ只中。
それでもアタシは、お兄ちゃんがいてくれれば、さみしくなんかなかった。
お兄ちゃんがいたから、両親には放っておかれっぱなしでも、不思議と両親を恨んだりはしなかった。
だけど、お兄ちゃんが死んじゃっても相変わらず仕事第一の両親を目の当たりにしたら、初めて両親を憎む気持ちが生まれた。
だから、両親の「一緒に暮らさないか」という誘いも、せっかく受かった高校にどうしても通いたいという理由を盾に断った。
でも、高校なんて、今となってはどうでもよかった。
高校のことを思う度に、「うちの高校は最高だぞ」といつも自慢していたお兄ちゃんの笑顔が蘇って枯れ果てたはずの涙が込み上げてくる。
「お兄ちゃんがいないんじゃ・・・何にも意味無いよ」
お兄ちゃんに褒められたくて、追い付きたくて、勉強も必死で頑張ってきたのに、そんなものは何の意味もなくなってしまった。
あんなに憧れていた高校生活も、何の輝きもなくなってしまった。
でも。
高校に通うことを理由に両親には別居を認めてもらったのだから、いきなり入学式初日から休んでしまっては、すぐに迎えに来られてしまうかもしれない。
そう思ったから、仕方なく買ってから1度も袖を通していない制服を身に付けて、重い腰を持ち上げたのだった。

桜の花びらが、舞う。
ひらひらと舞い散るその姿が、呆気なく散ったお兄ちゃんの命のように儚く映った。
アタシを追い越していく他の生徒たちの中にいるのがどうしようもなく辛くなって、もう引き返そうかどうしようか悩んでいた、その瞬間。
「あれ? もしかして宇佐美じゃねぇ?」
名前を呼ばれて、条件反射で振り向くと、見覚えのない男子生徒の姿。
「ほら! やっぱり宇佐美だ!」
男子生徒は嬉しそうに私の肩を叩いたが、アタシがしばらく固まったまま何も答えずにいると、男子生徒が少し困った顔をした。
「・・・ん? あれ? もしかして・・・俺のこと覚えてない・・とか?」
アタシは黙ったまま頷く。
「あっちゃ〜マジで!? 俺だよ俺! 小学校の時、一緒だった、つーか幼稚園も一緒だった今井悟だよ!」
・・・思い出した。
イマイ サトシ。
今の家に中学に上がる時に引っ越してしまったから、中学も学区が違くなって会わなくなってしまったしまったけれど。
小学校までは家も近所で、何を隠そうアタシの「初恋の君」は彼だった。
会うのは小学校卒業以来だ。
「あ・・・久しぶり! あれ? でもこの高校、県で1番の進学校だけど・・・今井、くんって・・・」
そんなに頭良かったっけ?と言いそうになって、久しぶりの再会でそれはあまりに失礼だと思い止めた。
アタシの中の今井の印象は、運動は出来るけど勉強はからっきし、の典型だったから、高校が一緒なんて意外だった。
「おまえ・・・嫌なことばっかり覚えてるなぁ・・・。どーせ俺は頭ワリーけどよぉ」
・・・なんだか拗ねさせてしまった。
「でも、中学では勉強頑張ったんだ?」
「ん? まぁな! 運良くギリギリ補欠合格だったけどな!」
「ふぅん・・・」
嬉々としている今井の横で、何となく気のない返事をしてしまう。
「でも宇佐美は昔から頭良かったもんな! ここも首席合格とかなんじゃねぇの?」
「違うよ。首席合格だったら、新入生挨拶とかさせられるでしょ? アタシは別に何も言われてないし・・・」
・・・本当はちょっとだけ、自信あったんだけどな。
お兄ちゃんも首席合格してるから、アタシもって思ったんだけど・・・。
・・・って!
あぁ、またお兄ちゃんのことを思い出しちゃった。
「はぁ・・・」
重い溜息が洩れる。
「何か、入学式の朝なのに暗いなぁ、宇佐美」
でもそうやって今井の話に付き合って歩を進めている内に、いつの間にか校門をくぐってしまっていた。
これで逃げ帰れなくなってしまった。
アタシは仕方なく、入学式に参加することにした。

入学式が始まる。
「宇佐美! クラス一緒だな! ヨロシクな」
隣の列に並ぶ今井が小声で話しかけてきたけど、一瞬だけ視線を送って、またすぐに前に視線を戻した。
しばらくすると、新入生挨拶が始まった。
ザワザワザワ―――。
会場のざわめきと同時に、スラリとした長身の、すごく顔の整った男子生徒が壇上に現れると、後方から女の子たちの溜息と歓声が洩れた。
「すげぇカッコいい奴が新入生挨拶するんだなぁ〜」
横で男の今井でも感心してる。
「―――新入生代表、本郷 直人」
本郷直人という人は、堂々と、そして淡々と挨拶を始めた。
アタシは年齢の離れたお兄ちゃんが壇上に立つ姿を見たことはなかったけど、きっとあんな感じだったんだろうなと、檀上の彼を見ながら思っていた。


本郷直人も同じクラスだった。
「クラスの委員は〜先生が勝手に決めるぞ〜。成績順だ!」
そう言って、アタシは何故だか本郷直人と一緒にクラス委員になってしまった。
今井はというと・・・。
何の委員にもならずに済んだと浮かれていた(補欠合格だから当然だけど)。
「よろしくね、宇佐美さん」
「こちらこそ・・・」
そういって大人っぽく微笑む本郷くんは、お兄ちゃんに少し似ている気がした。



家に戻って、カバンをリビングのソファに投げて、チェストの上に置いてあるお兄ちゃんの写真を手に取る。
「お兄ちゃん、今日、お兄ちゃんに似た人に会ったよ」
写真の中で微笑むお兄ちゃんに、本郷のことを報告してみた。
「それから、アタシ、クラス委員になったよ。成績順って言ってたから、結構アタシもやるじゃんね。お兄ちゃんみたいに首席じゃなかったけど」
アタシの声だけが、無駄に広いリビングに響く。
「それから、今井にも再会したんだよ〜。相変わらずだったけど、ちょっとだけかっこよくなってた・・・かな?」
お兄ちゃんには敵わないけど、と言おうとして止めた。
独りきりで過ごす夜は、未だ果てしなく長く感じられた。


「宇佐美、何か顔色悪いけど、ちゃんと朝飯食ってきたか?」
入学式の次の日、出席番号順で隣の席になった今井が朝ごはん(?)を食べながら話しかけてくる。
「そういう今井は朝からよく食べるね。太るよ?」
「大丈夫! サッカー部の朝練で、一汗かいてきたから」
そう言いながら今井は、また新しいパンの袋を開ける。
「今井、サッカー部なんだ」
「おう! ここのサッカー部は全国レベルだからな。でもスポーツ推薦制度がないんだぜ、ここ」
「そっか、そのために・・・」
強豪サッカー部に入る為に、わざわざ苦労して受験勉強して入ったのか。
そういえば、お兄ちゃんも・・・。
「お兄ちゃんも、サッカー部だったな・・・」
「ん? あぁ! そういやユウヤ兄ちゃんもそうだったな」
「・・・覚えてるの?」
びっくりした。
小学生の頃、ちょっと一緒に遊んだだけのお兄ちゃんを、今井が覚えてたなんて。
「そりゃあ、俺にサッカー教えてくれたの、ユウヤ兄ちゃんだぜ?」
「そう、だったっけ?」
「そうだよ! そういやユウヤ兄ちゃんは?」
「・・・え?」
一瞬、胸が大きく跳ねるのを感じる。
「ユウヤ兄ちゃんもまだ、サッカーやってるのか?」
「あ、えっと・・・、ううん。大学上がる時に辞めたんだ。膝を故障しちゃって」
「そうだったのか・・・。またユウヤ兄ちゃんと、サッカーやりたかったなぁ」
―――キーンコーンカーンコーン、ガラガラガラ・・・。
1限のチャイムと共に先生が入ってきて、今井との会話はそこで終わった。
アタシの心臓は、まだドキドキとしていた。
思えばあの事故から、両親以外の誰かとお兄ちゃんのことを話したのは初めてだった。
今井は、お兄ちゃんがもうこの世にいないことを知らない。
他の人も、この学校の生徒は誰もお兄ちゃんのことを知らない。
そんな中で、アタシは、お兄ちゃんのことを忘れて生きていくんだろうか・・・?
お兄ちゃんがいない世界で。


放課後、委員会の顔合わせがあった。
話の内容は、全然頭に入ってこなかった。
「・・・宇佐美さん?」
「・・・え? あ、ごめん、何?」
「何か具合悪そうだけど大丈夫? 保健室、行く?」
本郷くんが心配そうにアタシの顔を覗き込んでくる。
「だ、大丈夫! 元気だよ」
「ならいいけど・・・。もしかして、宇佐美さんって結構大人しい人?」
「えっ!? そんなことも無いんだけど! なんかごめん!」
「はは、別に謝らなくても」
そういうと本郷くんは、面白そうに笑った。
笑った顔が、今までで1番、お兄ちゃんに似てると思った。

それ以来、学校では自然と本郷くんを目で追うようになっていた。
一緒に委員の仕事をしている時は、自然に自分の方が多く仕事を引き受けてくれたり、目が合うとにっこりと笑ってくれるのが嬉しかった。
本郷くんと一緒にいると、お兄ちゃんと一緒にいた頃を思い出して、最初のうちは辛い時もあったけど、次第に嬉しさの方が増していった。
でも、人気者の本郷くんと一緒にいる時間が長くなると、当然一部の女子のやっかみを買ったりするわけで。
「宇佐美さん、ちょっと本郷くんに馴れ馴れしくない?」
「はぁ・・・」
校舎裏の人気の無い裏庭への呼び出し。
高校生になってまで、こういう人たちっているんだなぁ・・・なんて、呑気に考えてしまう。
「本郷くんが優しいからって、調子に乗んないでよ!」
別に調子になんか乗ってませんが、という言葉を飲み込む。
こういう時は、余計な発言はしないのが1番。
「あんたが友達も作らないで1人でいるから、本郷くんはクラス委員として、放っておけないだけなんだからね!」
そういえば。
入学してもう1ヶ月近く経つのに、会話をするのは本郷くんか今井か・・・。
あとは、事務的な会話をした覚えしかない。
家に帰っても誰もいないし、休みの日なんか、ヘタすると一言も口をきいていない。
そう思うと、少しだけぞっとした。
どれだけお兄ちゃんの存在が大きかったか、思い知らされているようだった。
「・・・ねぇちょっと、聞いてんの!?」
・・・しまった。
何か、ヒートアップしてるし・・・。
「あ、ごめん。もう1回言ってもらっていいかな?」
「ちょ・・・あのねぇっ!」
うわーマズイ! お兄ちゃん、助けて!!
・・・そう思った瞬間。
「はーい、ストップ。そこまでそこまで」
背後から聞き覚えのある声。
「やだっ、サッカー部の今井じゃん」
「ねぇ・・・もう行こうよ」
女子たちがヒソヒソ話を始める。
「おいおい、せっかくみんな美人さんなのに、顔がおっかなくなってるぞ〜」
今井はそんなことを言って、女子たちを煽る。
「も、もう・・・っ! 行くわよ!」
バタバタバタ・・・。
・・・。
そう言って、女子集団は去って行った。
アタシはよろよろと後退し、壁に背中を預けながら、ひとつ深く溜息をついた。
去り際に、「両天秤かけてんじゃねーよ」って、言われた、たぶん。
「大丈夫か?」
・・・なんて言って顔を覗き込む今井の姿を、アタシは見上げた。
「アンタも、もてるんだね・・・」
「は? 何だよ急に・・・。まぁ、こう見えても、サッカー部期待の新人だし?」
そう嬉しそうに笑う。
「久しぶりでもちゃんと身体は動くもんだよな〜」
そんなことを言いながら、得意げにリフティングを見せてくる。
「久しぶりって・・・なんで? 中学もサッカー部でしょ?」
「えっ? ああ、うん、そうだけど、受験勉強もあったしな・・・」
「あぁ、そうだったね」
勉学に励む今井なんて、想像がつかなかった。
小学校の時から、授業だってロクに聞いてるところを見たことがなかったし。
「そんなことよりさ、おまえ、気をつけた方がいいぞ? 目、付けられてるぞ?」
「今のでよくわかったわよ。今後、気をつけないとね」
本当に、自分がこんな典型的なイジメのパターンに当てはまっちゃうなんて、考えてもみなかった。
「余計なお世話かもしれないけど・・・友達作った方がいいんじゃないか?」
「え・・・?」
突然そんなことを言われて、心がざわつくのを感じた。
「何で、そんなこと言うのよ?」
「だってさ、今みたいなこともあるし。あんまり一人でいない方がいいだろ?」
「・・・なるべく一人にならないようにはするわよ」
「だからそうじゃなくって。あいつらの言い分もわかるっていうか・・・おまえ、何だか放っておけない雰囲気出してるしさ・・・」
「何それ?」
「なんつーか、上手く言えないけど、全然楽しそうじゃないんだよな。昔はそんなじゃなかっただろ?」
「・・・んで」
「ん?」
「何であんたにそんなこと言われなきゃなんないのよ!!」

叫んだ直後に、アタシはその場を駈け出していた。
昔と違う?
当り前じゃない!!
お兄ちゃんのいない世界で、今まで通りいられるはずがない。
今まで通りなんて無理なの。
別に友達なんていらない。
アタシはお兄ちゃんがいてくれれば、お兄ちゃんがいてくれればよかったのに・・・。

「ハァ、ハァ・・・」
足は放課後の人影もない教室へと向かう。
一体アタシは、こんな思いを抱えたまま、いつまで生きていかなければいけないんだろうか?
何にも楽しくない、生きてる価値なんかない。
「うちの高校は楽しいぞ」
そう言ったお兄ちゃんの言葉が脳裏を過ぎる。
「全然楽しくなんかないよぉ・・・お兄ちゃん・・・」
どうしようもない衝動が襲ってきて、机に突っ伏して泣いた。
久しぶりに涙が込み上げてきた。
このまま涙と一緒に溶けて、消えてしまえればいいのにと、そう思った。



「宇佐美さん? 寝てるの?」
いつの間にか眠ってしまっていたらしいアタシを、その声が起こした。
陽はもうかなり傾いてしまって、教室を淡いオレンジ色に染めている。
「あ、れ・・・? アタシ・・・」
「大丈夫? もうすぐ校門閉まる時間だよ?」
そう言って隣に腰掛けてきたのは・・・。
「本郷くん」
一瞬逆光で誰だかわからなかったけれど、それは本郷くんだった。
「もう、帰ろう?」
「う、うん・・・」
帰りを促す本郷くんに連れられて、アタシは素直に教室を後にした。


「宇佐美さん、眠っちゃってたんだね」
「なんか、恥ずかしいところ見られちゃったな。そういう本郷くんは?」
「俺は委員会の仕事とか・・・。あと保護者を職員室に案内したりしてたらずるずると」
「保護者? 呼び出しとか?」
「そんな感じじゃなかったけど。でもウチの担任のところだったから、ウチのクラスの誰かの家族なんじゃないかな」
「ふぅん・・・」
そんな取り留めもない話をしながら、もう人もだいぶまばらになった校庭へと向かう。
遠くの方の部活帰りっぽい男子生徒の群れの中から、思わずさっき怒鳴りつけてしまった今井の姿を探してしまう。
やっぱり、あんな風に怒鳴ってしまったのは、悪かったかもしれない。
とは言っても、今のアタシが素直に謝れるわけもないんだけど・・・。

その日は初めて、本郷くんと途中まで一緒に帰った。
隣に並んで色々話をしていると、本当に本郷くんは色々物知りで感心してしまった。
「何かすごいね、本郷くん。しっかりしてるし落ち着いてるし・・・」
「そうかな?」
「うん、なんか、ウチのお兄ちゃんに似てる・・・」
「お兄さん?」
しまった。
つい、お兄ちゃんのことを話しちゃった。
「お兄さんって、幾つなの?」
「お兄ちゃんは5つ上なの」
ドキドキしながら、お兄ちゃんのことを話していた。
「そうなんだ。じゃあ、俺、結構老けてるってことかなぁ?」
「えっ!? ちち違うよ! 大人っぽいっていうか・・・っ!」
「ははっ、そんなに焦らなくても! 冗談だよ。面白いなぁ、宇佐美さん」
また本郷くんに笑われてしまった。
「で、でも、本当に本郷くんって、落ち着いてるよね? どうしたらそんな風になれるのかな?」
「うーん・・・。理由があるとすれば・・・」
そこまで言って、本郷くんが口籠る。
「あるとすれば?」
「・・・いや、恥ずかしいから、内緒かな?」
そう言って本郷くんは、夕焼けの中で笑った。

本郷くんとの帰り道は、不思議な時間だった。
穏やかな温もりに包まれているような、そんな心地よさを久しぶりに感じられる時間だった。
だから、今夜は本郷くんとの帰り道を思い出しながら眠りにつきたかったけれど、驚いた顔で立ち尽くしていた、あの時の今井の姿が頭を離れてくれなかった・・・。



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