今、ここにいること






「久、久我っち・・・?」
「久我、あんた何言ってんの・・・?」
あたしたちの問いに、久我は不可解な表情をみせた。
「水野の知り合いか? それとも日下部の・・・」

何・・・言ってんの?

・・・わからない。
頭の中がぐるぐるしてる。
はっと気付いてちーちゃんの方を見た。
ちーちゃんの表情は固まっていた。

「な・・・何言ってんのよ!! ちーちゃんよ! 長谷川千鶴! 忘れたって言うの!?」
「い、泉・・・ここ病院・・・」
思わず大声で怒鳴ったあたしを制止する日下部の声が聴こえたけど、止められるはずもなかった。
「長谷川・・・? あー・・・そういえば・・・新任の保健医の。でも何でその長谷川先生が?」
「・・・冗談でしょ・・・?」
「?」
久我が冗談を言っている風には見えなかったけど、あたしにはそう聞き返すしかなかった。
嘘・・・でしょ?

「これって・・・もしかしなくても“記憶喪失”・・・ってヤツ?」
日下部がそう言った。

記憶喪失。

そうなの・・・?

「久我・・・あんた・・・。本当にちーちゃんがわからないの・・・?」
あたしが確信を持ちたくてその言葉を発した時、隣にいたちーちゃんの肩が微かに震えた。
「あ? ああ・・・」


後ろでガタン・・・と大きな音がして、あたしは振り向いた。
後ずさったちーちゃんがさっきまで自分が座っていた丸椅子に足をぶつけたみたいだった。
「ちーちゃん!? 大丈夫?」
あたしはちーちゃんに駆け寄った。
「う、うん・・・」
ちーちゃんは俯いていて、表情はよくうかがえなかった。
「そうだ泉ちゃん!」
「え?」
ちーちゃんが突然明るい声を上げたから、あたしは思わずヘンな声を出してしまった。
「みんなお腹空いたでしょう? 私、何か買ってくるね」
そう言うと、くるっと踵を返してちーちゃんは病室を後にしようとした。
「ちょ・・・待ってよちーちゃん!」
あたしもちーちゃんの後に続いて病室を出た。




久我の容態もあんな状態だったから心配じゃなかったわけではないけど、それ以上にちーちゃんの様子が気掛かりだった。
しばらくは無言のまま、薄暗い病院の廊下を並んで歩いていた。
「ちーちゃん・・・どこ行くの?」
あたしは何を言っていいかわからなくて、くだらない質問をしてしまう。
「久我くんが起きた事、ナースステーションに言いにいかなきゃ・・・」
ちーちゃんの案外冷静な判断に、あたしは驚いていた。
「ちーちゃん・・・平気なの・・・?」

バカな質問をしたと思う。
ちーちゃんの足が止まって、あたしの方に振り向いた。
泣き出しそうに歪んだ顔をしていた。

あたしはバカだ。
平気なはずなんかないのに・・・。

ちーちゃんは何も言わなかったけど、ちーちゃんのキモチが伝わってきて辛かった。
また無言のまま歩き出して、あたし達はナースステーションに辿り着いた。



その頃久我の病室では、久我と日下部が話をしていた。

「久我っちさぁ〜本当に千鶴のこと忘れちゃったの? 千鶴のことだけ忘れるなんて洒落になんないぜ〜」
「お前は何で下の名前を呼び捨てなんだ?」
「そういう事じゃなくってさ〜!」
「なんなんだよ・・・」
いまいちしっかりとした会話にならない。

「なんで・・・あの女は・・・あんなに目を真っ赤に腫らしてここに居たんだ・・・?」

何だ・・・ちゃんと見るところは見てんじゃん。
俺はそう思った。
でも、わからないことだらけだといった感じに久我っちは頭を抱え込んでいた。

「千鶴・・・一晩中お前の事心配してたんだぞ・・・」
「そう・・・なのか?」
「そーだよ! 自分を庇った所為で久我っちが怪我したってそりゃーもうボロ泣きだったんだぞ!」
「俺が・・・長谷川を庇ったのか? 何で?」
「久我っち本当に・・・何も覚えてないのか・・・?」
「俺は一体何を忘れているんだ?」
お互いに疑問符ばかりが飛び交う。
傍から見たら、本当に可笑しな会話に見えるだろうな。

千鶴が自分の気持ちに気づいた事、ドア越しに俺は知った。
ショックだったけど良かったって、そう思えたのに。
何なんだよ・・・記憶喪失って・・・。

「なあ、日下部?」
「悔しいから、教えてやんねぇ」
「はぁ!?」
「・・・ったく・・・」
このくらいの意地悪は当然だろ。
まぁ結局は千鶴の為に余計な世話を焼く事になるんだろうけどな・・・。





それから、久我の着替えとかを取りに行かなきゃいけないことに気付いたあたし達は久我の家に行った。

医者は、記憶障害があるのかもしれないと告げた。
その為に検査をするから、その間に久我の家に行くことにした。

ちーちゃんと話をしたかった。
その為に邪魔な日下部は病院に置いてきてしまった。
久我から預かった鍵で部屋の中に入ると、ちーちゃんは余計な事は何も言わずにそそくさと用意を始めた。
「ちーちゃん・・・何、考えてるの・・・?」
何も言ってくれない、表情も変わらないちーちゃんの考えている事があたしにはわからなくなっていた。
久我の症状を医者に話す時に、少し表情を曇らせたくらいで・・・それ以外は至って普通に振舞っていた。
ちーちゃんはこっちを向いてくれなかったけど、ポツリポツリと話し始めてくれた。

「泉ちゃん・・・私ね、バチが当たったのかもしれない・・・」
「え・・・」
「ずっと久我くんの気持ちに応えなかったバチ。久我くん、心のどこかで愛想尽かしてたのかも・・・。でも優しいから今まで言えなかったのかも・・・。だから忘れちゃったのかも・・・」
「ちーちゃん・・・」
「きっと・・・自業自得なんだよね・・・」
ちーちゃんの肩は震えていた。
泣いているのかもしれなかった。
「なっ、何でよ!? そんな訳ないでしょちーちゃん!!」
「い、泉・・・ちゃん・・・?」
やっと振り向いてくれたちーちゃんはやっぱり泣いていた。
「久我は・・・確かにいけ好かない奴だけど、そんな薄情な奴じゃないでしょ! ちーちゃんがそんなでどーすんのよ!!」
あーもう!
こんな久我を後押しするような事、言いたくなかったのに!
「ちーちゃんが思い出させてやんないでどーすんの!? 久我が好きなんでしょ?」
「ひっく・・・う・・・」
ちーちゃんは少し赤くなって、少ししてから小さくコクンと頷いた。
「久我・・・記憶取り戻してそれ聞いたら、きっと喜ぶよ」
「うん・・・っ」

よかった・・・ちーちゃんが少しだけど元気になって・・・。
「私、ずっと久我くんの気持ちに甘えてた。だから今度は私が頑張らなくっちゃ」
そう言ってちーちゃんはやっと笑ってくれた。

ちーちゃんが笑ってくれるならきっと大丈夫。
あたしはその時、そう思っていた・・・。



2002/04/09

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