今、ここにいること






事故から2週間が経過して、久我は無事退院することになった。

その間、ちーちゃんは久我に何も言わなかった。
久我が退院するまでは、余計な心労を負わせたくないというちーちゃんの配慮だった。
そんなちーちゃんの心情を察してか、医者から症状を聞かされていた久我も何も訊いてこなかった。
側で介護をするちーちゃんを邪険に扱う事もなかったから、あたしは内心ほっとしていた。
本当は、一刻も早くちーちゃんを安心させてあげたかったんだけどね・・・。

退院して2日後からは、久我は学校にも来るようになっていた。
そしてあたしはある事を確信してしまった。
本当に久我は、ちーちゃんのことだけを忘れてしまったという事を・・・。
記憶喪失って本当に不思議だ。
久我はちーちゃんのことを忘れてしまっているのに、何事も無かったかのように生活している。
あたしにはそれが腹立たしくて、時々抑えられそうもなくなっていた。


「ちーちゃん、久我の記憶を取り戻す為に具体的にはどうするか考えた?」
あたしはいつものようにちーちゃんに会うために保健室を訪れていた。
「まだ・・・。久我くん全然保健室にも来なくなっちゃったし、接点なくなっちゃったもん・・・」
ちーちゃんもさすがに沈んでいた。

そうだった。
久我が学校に復帰して3日が経ったが、まだ1度もあいつはここに来ていない。
あたしも、変な違和感を覚えていた。
そして気付いた。
それほど久我とちーちゃんが一緒にいることが自然になっていたということに。
あたしは色々な複雑な思いが交差して、はぁ・・・と深いため息をついてしまった。

その時、ガラガラと保健室の戸が開く音がした。
「先生、出欠表を持ってきました」
聞きなれた声のその先に立っていたのは・・・久我だった。


平静を装ってはいたが、心なしか久我は気まずそうだった。
もしかしたら・・・少しでも何か思い出したのかもしれない。
「久我・・・めずらしいわね。あんたが保健室に来るなんて」
あたしはわざとそんな事を言ってみた。
「そうか・・・何故か出欠表が机の上にあったからな」
久我の反応はいまいちだった。

「それじゃあ。僕は教室に戻りますので」
久我はさっさと出て行ってしまおうとする。
「あっ、久我くん!」
「・・・・・・何ですか?」
ちーちゃんが久我を引き止めた。
「あ、あの・・・体の具合は大丈夫? ご飯はちゃんと食べてる?」
「心配しなくても、医者の言うとおり安静にしてますよ。用はそれだけですか?」
「う、うん・・・」
「では失礼します」
ガラガラ・・・。

久我はあっさりいなくなってしまった。
「ちょっ! 何なのよアレは! ちーちゃん!?」
「うぅ・・・」
ちーちゃんはすっかり落ち込んでしまっていた。
「もう・・・ちょっと待ってて! 久我を連れてくるから!」
「えっ!? 泉ちゃん・・・っ!?」
あたしはそのまま保健室を飛び出していた。


その頃教室へ向かって歩いていた久我は、日下部と遭遇していた。
「よ! 久我っち!」
「何だ・・・日下部か。どうでもいいが、窓から入ってくるなよ」
「まーまーいーじゃん。細かい事気にすんなって!」
「ったく」
よっこらせ、と、窓枠を乗り越えた日下部は、久我と向き合って話を始めた。
「そろそろ千鶴のことなんか思い出した?」
「いや・・・ただ・・・」
「ただ!?」
久我の言葉に反応して、日下部は身を乗り出した。
「ただ・・・あの女(ヒト)の顔を見ていると・・・イライラする」
「はぁ?」
何言ってんだこいつ、と言わんばかりに、日下部は首を傾げた。
「あの女は・・・いったい俺にとってどういう存在だったんだ?」
久我の質問に、日下部は首を捻ってしまう。
そろそろ本当のことを教えてあげようと思ったが、どう説明すれば良いものか・・・。
複雑な2人の関係を率直に説明するのは、日下部にとって至難の業だった。
「え〜・・・だからつまりぃ・・・(どうやって説明すりゃいいんだよ・・・)」
「何だ?」
日下部はポリポリと頭を掻く。
「う〜ん・・・。久我っちは、どうやって俺と出会ったか覚えてる?」
「あ?」
「どうして泉と親しく(・・・もないけど)してるかとか考えた?」
「いや・・・」
「したら、何か思い出せるかもよ?」
「どうしてって・・・」
久我は思考を巡らせている様だった。

  確か・・・バスケの試合で日下部がウチに来ていて・・・。
  それで・・・でも、それでどうして俺がこいつと知り合うって言うんだ?
  水野にしたって、数ヶ月前まではただのクラスメートだったはずだ。

「お、俺は・・・」
久我は頭を抱えて顔を苦痛に歪ませた。
「おい! ダイジョウブか!?」
久我はがくっと膝から倒れ込んだ・・・。



少し走ったら、崩れている久我と日下部の姿を見つけることが出来た。
「ちょっと! いったい何があったのよ!?」
あたしは日下部を問い詰めた。
「話をしてたらこうなっちまって・・・。保健室に連れてった方がいいかなぁ?」
あたしは考えた。
もし失った記憶の所為で久我がこうなっているのだとしたら・・・。
「ううん。あんたはこのまま久我を家まで連れ帰って。何かあったら連絡して」
そう言った。
「あ、ああ・・・」
そう返事をすると、日下部は久我を連れて学校を後にした。



次の日、こんな噂を耳にした。
「ちーちゃんと久我が喧嘩をしているらしい」
とか、
「久我の雰囲気がまた以前のようになってしまった」
とか。
久我もこんな感じの噂を耳にしたのだろう。
誰かが(きっとボブ男あたりだろうと思うけど)「仲直りしろよ〜」とか言ったとかいう話も耳にした。
今日はあまり教室で久我の姿を見かけなかった。


ちーちゃんも相変わらず何となく沈んでるし、はっきり言ってあたしはイライラの限界だった。
久我が居そうなところをしらみつぶしに探す事にした。

しばらく校内を走り回って、あたしはようやく裏庭で本を読んでいる人物を見つけた。
誰も寄せ付けない雰囲気で、久我はそこにいた。
「ちょっと話があるんだけど」
あたしはそんな雰囲気などお構い無しに、久我に話しかけた。
「・・・なんだ・・・水野か・・・」
久我は、ちゃんとこっちを見ようとはしない。
「あんた・・・また雰囲気がギスギスしてきたわよ。ちーちゃんと出会うまえみたいに」
ぴくっと反応したのを、あたしは見逃さなかった。
「あたしに訊きたいこと、あるんじゃないの?」
あたしははっきりと、そう言い放った。
すると久我は読んでいた本を閉じて、ようやくしっかりとこっちを見た。
「訊きたいこと? 何のことだ?」
「とぼけるんじゃないわよっ! ちーちゃんのことよ! ちーちゃんがどんな想いでいるかわかってんの!?」
ふう・・・と息を吐いて久我は立ち上がり、あたしと対峙する。
「じゃあ教えてくれよ。俺とあの女とがどんな関係だったかを」
そう言った時の久我の瞳はものすごく冷たくて、思わずぞくりとした感触を覚えた。

「・・・なんであたしがこんな事言わなきゃならないのよ・・・」
「? 何なんだよ」
そうよ。
すべてはちーちゃんの為だもん。
決してこんな奴の為なんかじゃないわ・・・っ!!
「あーもうっ! だから! あんたがちーちゃんのこと好きだったのよ!! わかった!?」
「・・・は?」
「ったく・・・忘れるなんてホント信じらんない!」
「俺が・・・長谷川のことを・・・?」
「そうよ」
「なんでだ・・・?」
「そんなのは自分で考えなさいよ!」
あたしの息はすっかり上がってしまっていた。

「本当なのか?」
「嘘ついてどーすんのよ!」
あたしがこんな嘘つくわけないじゃない、と言いたかったけど止めた。
今の久我に言っても仕方ないことだし・・・。
はぁ・・・とため息が漏れた。

「あんたも可哀想だね・・・ちーちゃんのこと忘れちゃうなんてさ」
「・・・・・・どういうことだ?」
「それだけあんたにとって、ちーちゃんの存在が大きかったってことよ」
「・・・・・・」
「じゃあね。あたしは教室戻るから」

「あ、ひとつだけ覚えておいて。ちーちゃんが1番必要としているのは、あんたなんだからね」
「え・・・」
そう言って、あたしはその場を離れた。



あたしは思った。
ちーちゃんのこと、忘れてしまって、久我が空っぽになっちゃっているんじゃないかと。

久我はあんなだった?
だれも寄せ付けない空気。
確かに以前の久我はそんなったかもしれない。
あたしのよく知ってる久我は、ちーちゃん無しでは存在し得ないんだ。
そう思った。



あとはもう。
あたしがじたばたしたってしょーがない。
ちーちゃんが動き出すのを、あたしは待つしかないんだ・・・。



2002/04/09

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